風は穏やかになり、雨も随分と大人しくなっていた。 |
風は穏やかになり、雨も随分と大人しくなっていた。
そんな嵐の後の静けさを感じながら、濃姫は奥御殿の寝所でじっと信長の訪れを待っていた。
白檀(びゃくだん)の香が焚き染められた寝間着の襟元を何度となく直しながら、視線を高麗縁の畳の上へと一点に注いでいる。
毅然とした面持ちであったが、濃姫は内心不安だった。Botox瘦面
時刻は既に九つ(0時)を回っているというのに、信長は一向にやって来る気配がないのだ。
当たり前かもしれない。
自分が信ずるに値するおなごになるまで閨は共にしないと、はっきり初の褥の席で言われているのだ。
故に、信長が夫婦の寝所へ足を運んでくれる可能性は極めて低いと思われた。
それを分かっていながら、あえて信長を閨房へ誘ったのは、姫にとっての一か八かの賭けであった。
それでも、全くの希望がない訳ではない。
《 ──信長様は、姫様にはお心を開いておられるのでしょうね 》
萬松寺で言われた大雲永瑞和尚の言葉が少しでも当たっているのならば、まだ可能性は残されている。
それに信長の信頼を得る為には、どちらにしろ二人きりで話し合う場を設けなければならない。
他の者に聞かれる恐れのない夫婦の寝所ならば、より都合が良いだろう。
これから自分が打ち明けようとしている話ならば、特に…。
その時
「失礼つかまつります──」
寝所の戸襖が滑るように横へ開き、奥から三保野がゆっくりと顔を出した。
「如何した?殿が参られたのか?」
三保野は俯きがちに首を振る。
「では何用じゃ」
「姫様、今宵はもうお休みなされませ。この分では、殿はお渡りにはなられますまい」
「…ああ。そうかもしれぬな」
濃姫はしんみりとした風情で呟きながらも
「じゃが、それでも構わぬ。私がお渡りを願ったのですから、このまま殿をお待ち申し上げます」
と、昂然たる態度で述べた。
「しかし、本日姫様はお疲れで…」
「平気じゃ。私のことは気にせず、そなたは先にお休みなさい」
気遣って言うものの、朝から信長の後を追い回っていた濃姫の身体は、三保野の言う通りすっかり疲れ切っていた。
少しでも目蓋を緩めれば、それこそ泥のように眠ってしまいそうな程だった。
けれど姫は、掌に爪を立てたり、下唇を噛んだりして懸命に睡魔を振り払った。
何としても今宵中に自分の気持ちと覚悟を、信長に伝えたかった。
一番思いが強い内に。
生半可な熱意では、到底あの夫の信頼を得ることなど叶わないだろうと、濃姫は思い及んでいた。
「姫様…、何と健気な…」
何とか信長に寄り添おうと努める姫の姿を見て、三保野は思わず胸を熱くした。
「民を装おって街や森へ赴き、挙げ句、恥も承知の上で自ら夜伽のお誘いまでした姫様が、何故このような仕打ちを受けねばならぬのでしょう…」
「申すな、三保野」
「いいえ、此度ばかりは言わせていただきます──。今日のことで、殿がただのうつけ者でないことは三保野にもよう分かりました。
されど、お輿入れから既に幾日も経つというのに、姫様に対して全くご関心を示されないというのは如何なものでしょう?
いくら政略の上の婚姻とは申せ、贈物をするなり何なり、多少の気遣いくらいお見せになっても良いはずでございます」
「……」
「ほんに、殿は非情なお方でございますなぁ」
「──誰が非情じゃと?」
突として背後から響いた声に、三保野はぎょっとなる。
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