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Официальный сайт школы Ничирэн

Суббота, 08 Августа 2009 г. 17:24 + в цитатник
nichiren.or.jp/ Официальный сайт школы Ничирэн

japanoise.shop

Среда, 20 Мая 2009 г. 19:31 + в цитатник
japanoise.net/shop/top.htm japanoise.shopは先鋭的音源のマーケット。なかなかお目にかからないレア音源もある。ここをチェックしなければ日本の創造的音楽の全体像は語れない!  

Silvanus Slaughter

Вторник, 19 Мая 2009 г. 20:06 + в цитатник

Kiyoshiro Imawano

Суббота, 16 Мая 2009 г. 06:02 + в цитатник
忌野清志郎

1951年4月2日

東京都中野区にて生まれる。

1966年

ベンチャーズのコピーバンドを経て、同級生の小林和生、破廉ケンチと共にRCサクセションの前身となるバンド、「ザ・クローバー」を結成。

1967年

卒業式の謝恩会にて初ステージを踏むも、高校進学により一時的に「ザ・クローバー」は解散状態に。清志郎、小林は上級生をメンバーに加えて「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」として、喫茶店などでライブを行う。

1968年

再び破廉ケンチを迎え入れ、ここに「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバーズ・サクセション」が誕生する。

1969年

当時の人気番組、TBSテレビの「ヤング720」のオーディションに合格、「RCサクセション」として出演を果たす。演奏曲は「どろだらけの海」。
東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションに合格、出演。この模様は東芝音工から実況録音盤としてリリース、『どろだらけの海』が収録され、デビュー前の貴重な音源となる。

1970年

3月『宝くじは買わない』(c/w「どろだらけの海」)で東芝音工よりデビュー。12月2ndシングル『涙でいっぱい』リリース。渋谷・宮益坂付近にあったライブハウス、「青い森」が活動の拠点となる。

1971年

ホリ・プロダクションに所属。「青い森」に出演していた「古井戸」の仲井戸麗市と出会う。

1972年

2月、シングル『ぼくの好きな先生』、アルバム『初期のRCサクセション』リリース。スタジオ・ミュージシャンの演奏による録音に差し替えられていることに不信感を覚える。
『ぼくの好きな先生』のヒットにより、RCサクセションの名が知られるようになる。7月にシングル『キミかわいいね』、12月には『三番目に大事なもの』、アルバム『楽しい夕に』と、この年はリリースラッシュ。
TVK「ヤングインパルス」にレギュラー出演。

1973年

フォークのニューミュージック化が進む中、楽器をアコースティックからエレキに持ち替える。
友人の井上陽水と共作した『帰れない二人』『待ちぼうけ』が収録された井上陽水のアルバム『氷の世界』が日本初のミリオンセラーに。RCとしては不遇な時期になりつつあったが、清志郎は多額の印税を手にし、ハモンドオルガンなどを購入。
初のMOOK『RCサクセションのすべて』発売。

1974年

所属事務所内でのトラブルもあって、ほとんど仕事のない状態が続く。年末にワンマンツアーを行うも集客が悪く、途中で公演中止の憂き目に。練習の日々。

1975年

鬱屈した状態のなかで、事務所には秘密でレコーディングを開始。ポリドールに移籍。

1976年

1月にシングル『スローバラード』発売。しかし当時は全く売れなかった。4月、アルバム『シングル・マン』発売。後に名盤として高い評価を受けるこのアルバムも、この時点での評価は低く、発売後間もなく廃盤。10月、シングル『わかってもらえるさ』発売。
ライブ活動は、矢沢永吉、井上陽水らの前座を務める程度にとどまる。

1977年

1年前からほとんど舞台には出ていなかったギターの破廉ケンチが正式脱退。それでもコンスタントな活動を持続。

1978年

フォーク・デュオ「古井戸」の仲井戸麗市が掛け持ちでサポート・ギターとして参加したのに加え、「カルメン・マキ&OZ」のギタリスト・春日博文、「ミスター・スリム・カンパニー」などで活躍していたドラムの新井田耕造を迎え入れ、いっそうのエレクトリック志向を打ち出す。またこの頃、ボブ・ディラン、デビッド・ボウイ、KISS、ローリングストーンズらの影響もあって、メイクを始める。渋谷の「屋根裏」を拠点にセンセーショナルなステージを展開。

1979年

7月、シングル『ステップ!』発売。RCサクセション名義だが、演奏は全てスタジオ・ミュージシャンによるもの。しかし評判は得る。
春日博文に代わって小川銀次、キーボードに原田真二のバックなどをしていたGee2wooが参加。「ジョニー、ルイス&チャー」の武道館公演の前座や大晦日の「浅草ロックフェス」に出演し、客席を総立ちにさせる。また廃盤になっていた『シングル・マン』の再発実行委員会(吉見佑子氏ら)が発足され自主制作ながら再発がかなう。
雑誌の対談企画でジェームズ・ブラウンと対面するなど、バンドの活動範囲が広がる。

1980年

1月、シングル『雨あがりの夜空に』発売。発売記念として行った4日間にわたる渋谷「屋根裏」でのライブは「屋根裏」の動員記録を更新する。
4月、今は無き久保講堂でワンマン・ライブ“LIVE!!RCサクセション”。この模様は収録され、6月にライブ盤『RHAPSODY』となって発売される。
5月に『ボスしけてるぜ』、10月に『トランジスタ・ラジオ』の2枚のシングル、そして12月にはアルバム『PLEASE』をリリース。チャート上位に登場するようになる。
久保講堂でのライブ終了後、ギターの小川銀次が脱退、Gee2wooは正式加入し、忌野、小林、仲井戸、新井田、Gee2wooの5人でメンバーが固定する。

1981年

5月の日比谷野外音楽堂2日間公演“Please Rock Me Out”の即日完売を始め、全国ツアーは大盛況。夏の各イベントではメイン・アクト、トリを務めRCの人気は決定的なものとなる。
年間100本近いライブを行い、12月24日にはこの年より恒例となる、日本武道館単独公演を行う。11月『BLUE』発売。
RCの単行本、「愛しあってるかい」が発売。

1982年

2月、資生堂のキャンペーン・ソングとして坂本龍一と組んでリリースしたシングル『い・け・な・いルージュマジック』がチャート1位を獲得。RCサクセションはロンドン・レコードに移籍、自身のレーベル「BARCA」を設立。
5月、品川プリンスホテルにて雑誌「ビックリハウス」主催によるイベント“ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会”に、へンよいバンドとして出演。
8月、チャック・ベリー、サム・ムーアらを招きイベント「THE DAY OF R&B」開催。その模様は、12月発売のアルバム『THE DAY OF R&B』となる。
9月から年末まで、全国ツアー“ON TOUR’82”。
6月、『サマーツアー』、12月『つ・き・あ・い・た・い』のシングル・リリース。10月にはアルバム『BEAT POPS』発売。またRCのホーン・セクションを担当していた梅津和時率いるどくとる梅津バンドとのコラボレーション・アルバム『DANGER』を11月に発売。

1983年

多忙な生活がたたって体調を崩し、前半はライブ活動を抑える。ハワイにてレコーディング、6月にシングル『Oh!Baby』、7月にアルバム『OK』、11月には三菱自動車ミラージュのCF曲である『ベイビー!逃げるんだ。』をリリース。清志郎自身もCMに出演する。
6月からのツアー“SUMMER TOUR’83”より、渋谷公会堂における2日間のライブの模様を収めた2枚組のアルバム『THE KING OF LIVE』を12月にリリース。
詩集『エリーゼのために』、写真集『RCサクセション写真集』発刊。
この年は、RC以外にどくとる梅津バンドとのユニット、DANGERや春日博文とのユニット、ガラムなどRC以外での活動も目立った。

1984年

ロンドン・レコードから東芝EMIに移籍。
4月から7月まで全国ツアー“SUPER BAD TOUR”。12月より翌年7月まで“TOUR’84-85 Feel So Good”。
7月にシングル『不思議』、11月にはアルバム『FEEL SO BAD』をリリース。昨年12月に日本武道館で行ったライブの模様を収録のビデオ『THE KING OF LIVE』を4月にリリース。
ニューヨークで撮り下ろしたソロ写真集「N.Y.CITY MIND」と、RCの写真集「Ⅰ Feel Good」発刊。

1985年

所属事務所りぼんを離れ、独立事務所「うむ」を設立。4月西武劇場(現パルコ劇場)にて独立記念コンサート“スーパーエイプリルフール”を開催。泉谷しげる、坂本龍一、矢野顕子、三浦友和らがゲスト参加。8月には西武球場にてワンマン・ライブ。12月より翌年6月に及ぶツアー、“THE GREAT RC SUCCESSION TOUR 1985~1986”開始。
パルコのCFに、初めてRCのメンバー全員で出演。
4月にシングル『すべてはALRIGHT』、11月アルバム『HEART ACE』、12月にはシングル『SKY PILOT』と、川崎徹の企画・演出によるプロモーションビデオ集『SPADE ACE』をリリース。
写真集「すべてはALRIGHT」(パルコ出版)発刊。DANGERの2ndミニ・アルバム『DANGER II』を7月にリリース。

1986年

単身渡英、12インチシングル『NAUGHTY BOY』制作、4月にリリース。清志郎とJOHNNY,LOUIS & CHARでアニメ「県立地球防衛軍」のサウンドトラック制作、3月にシングル『S.F.』、アルバム『県立地球防衛軍』をリリース。RCサクセションとしては昨年からのツアー、8月の日比谷野外音楽堂公演“4 SUMMER NITES”など、精力的にライブを行う。日比谷での公演の模様は『the TEARS OF a CLOWN』のタイトルで、10月にアルバム、11月にはビデオとしてリリース。秋にはソロ・アルバム制作のため、ふたたび単身渡英。

1987年

イギリスのカルト・バンド「IAN DURY &THE BLOCKHEADS」のメンバーとレコーディング、2月にシングル『AROUND THE CORNER』、アルバム『RAZOR SHARP』リリース。忌野清志郎として新たな一面を見せる。3月にはレコーディング・メンバーを従えてのツアー「KIYOSIRO IMAWANO SOLO TOUR」も行う。このツアー中の中野サンプラザ公演の模様が、『HAPPY HEADS』として6月にリリースされる。9月、2ndソロ・シングル『E-JAN』リリース。
RCサクセションとしては、5月から9月にかけての全国ツアー、“TOURS 1987 GO ON THE ROAD!”、12月の“TOUR OF LOVE 1987”と活発な活動。
週間FMに連載の「忌野旅日記」が単行本化。70年代に書きためていた日記と詩をまとめた「十年ゴム消し」発刊。

1988年

2月、RCサクセションとしては2年ぶり、しかも2枚組のアルバム『MARVY』シングル『NAUGHTY BOY』を同時にリリース。3月より6月、全国ツアー“TOURS MARVY 1988”。その後再びのレコーディング作業で、反戦、反核、反原発などを歌った全曲カヴァーのアルバム『COVERS』を制作。しかし所属レコード会社、東芝EMIは突然の発売中止を決定。8月になってようやくキティレコードから、シングル『LOVE ME TENDER』と共にリリース。話題性も備えたこのアルバムは、オリコン初登場1位を獲得する大ヒットに。
8月、日比谷野外音楽堂で2DAYSコンサート。この模様は12月発売のアルバム、『コブラの悩み』に収録。
FM大阪にて「夜をぶっとばせ!」開始(後にFM東京等もネット)。

1989年

昨年12月から本年7月までの全国ツアー、“HARD TIMES LIVE 1989”では新曲中心のライブを展開。8月の日比谷野外音楽堂における“4 SUMMER NITES”、12月“FAMILY STONE TOUR 1989”など、コンスタントなライブ活動を重ねる。
またこの頃、清志郎に似ているが別人と言われるZERRYという人物の率いる謎のバンド「THE TIMERS」の活動が話題になる。シングル『DAYDREAM BELIEVER』、アルバム『THE TIMERS』を10月にリリースするなど、活発な動きを見せる。

1990年

RCサクセション20周年を記念してのさまざまな企画で盛り上がる中、キーボードのGee2wooが脱退。さらにドラムの新井田耕造も脱退。残る3人で、約2年7ヶ月ぶりに制作したアルバム『Baby a Go Go』と、シングル『I LIKE YOU』を9月にリリース。サポートメンバーとして、ドラムに春日博文、キーボードに厚見玲衣を加え、昨年に続いて8月には日比谷野外音楽堂で“4 SUMMER NITES”、12月には10年連続の日本武道館公演を含む“WINTER NIGHTS TOUR 1990”等を行う。“4 SUMMER NITES”の模様は、ビデオ『ミラクル』として11月にリリース。
4月、東芝EMIによるイベント、“ロックの生まれた日”開催。清志郎は、坂本冬美、三宅伸治、小林和生等とSMIなるユニットを結成し、『パープルヘイズ音頭』『高校3年生』などを披露。この模様は7月にアルバムとビデオで発売される。
単行本「遊びじゃないんだっ」、「日々の泡立ち」発刊

1991年

いよいよRCサクセションが無期限活動休止に入る。事務所は解散し、個人事務所「ベイビィズ」を設立。
映画「ai-ou」の主題歌に『スローバラード』が使われる。建設会社のCFソング『パパの歌』を制作。好評のため、5月にシングルとしてリリース、ヒットとなる。
昨年のユニットSMIの流れを汲むユニット、HISを結成。6月にシングル『夜空の誓い』、7月にアルバム『HIS』、11月には2ndシングル『日本の人』をリリース。さまざまなユニットを結成して夏のイベントに登場する。9月からはメンフィスにて、かつてオーティス・レディングのバックを務めたBooker.T & THE MG’Sの面々とアルバム制作に入る。年末にはファンクラブ主催によるイベントツアー“GO GO 2・3’S”のために忌野清志郎&ニーサンズを結成するなど、依然精力的な活動を続け、新たな面を見せる。

1992年

2月Booker.T & THE MG’Sと制作のソロ・シングル『世間知らず』、続いて3月にアルバム『Memphis』リリース。発売前から期待を集め、プロモーションも今までにない量をこなす。4月にはレコーディング・メンバーを招聘し、“忌野清志郎 with Booker.T & THE MG’S TOUR 1992”を行う。このときの武道館公演を収録したアルバム『HAVE MERCY!』を6月に、ビデオを7月にリリース。『パパの歌』が好評だったため、第2弾CM曲『パパの手の歌』を制作、6月にリリース。
夏にはニーサンズとのレコーディングのため渡英。『いつか観た映画みたいに』が、武田鉄矢監督・主演の映画「プロゴルファー織部金次郎」の主題歌に決まり、9月にシングル・リリース。カップリング曲の『ニュースを知りたい』はTBS系「NEWS 23」のエンディング曲に。11月にはアルバム『GO GO 2・3’S』を発売。秋から翌年の1月にかけて全国ツアー“GO!GO!2・3’S TOUR 1992”を行う。

1993年

1月、ニーサンズの2ndシングル『お兄さんの歌』リリース。ツアー終了後は俳優として映画撮影に臨み、岩松了監督作品「お墓と離婚」で堂々のスクリーン・デビュー。パパ・シリーズ第3弾として制作した『鉄人パパ』を含むミニ・アルバム『abcd』を6月にリリース。夏には2・3’Sの面々と再びロンドンに渡りアルバム・レコーディング。
10月、シングル『プライベート』、アルバム『Music From POWER HOUSE』リリース。『プライベート』が主題歌になったTBS系のドラマ『デザートはあなた』に準レギュラーとしてドラマ初出演。10月から全国ツアー“SWEET 2・3’S POWER TOUR’93”。大晦日には泉谷しげるの呼びかけで川崎クラブチッタにて行われた年越しライブ“日本を救え!”に出演。2・3’Sとスーパーバンドでの出演。また偶然にも、復活したTHE TIMERSも同じステージを踏む。

1994年

2・3’Sは4月から5月にかけての“SPRING STAKES TOUR 1994”終了後、活動を休止。清志郎は再びソロ活動に。ストリングス、コーラスをも含む大所帯バンドを率いて、6月、渋谷公会堂にてソロ・ライブ“Screaming Revue”開催。この模様を収録したビデオ『Screaming Revue』、初のソロ・ベスト盤『MAGIC』を9月に同時リリース。“Screaming Revue”は、9月の日比谷野外音楽堂、クリスマスの武道館公演でも催される。
TBS系のドラマ、東芝日曜劇場『ボクの就職』にレギュラー出演を果たす。主題歌は5月リリースの、自ら取材までして制作した『サラリーマン』。カップリング曲『競馬場で会いましょう』はJRAのCMソングとなる。また、竹中直人監督作品「119」の音楽を担当する。
8月、仲井戸麗市との共演が一夜限り実現したスペシャルライブ“GLAD ALL OVER”が日比谷野外音楽堂にて開催。この日の模様を収録したアルバムとビデオ、『GLAD ALL OVER』を12月発売。
夏のイベントでTHE TIMERSと多く遭遇する。
念願のプライベート・スタジオ「ロックン・ロール研究所」(通称:ロッ研)を設立。
年越しイベントとして日清パワーステーションにて“年忘れ!!忌野清志郎スペシャル 素敵な初詣”を自らプロデュース。“素敵な初詣”は’97年まで恒例イベントとなる。

1995年

映画「119』のサウンドトラックアルバムが1月に発売。また、日本アカデミー賞の最優秀音楽賞を受賞する。デビュー25周年を記念して、これまでの音楽活動データなどを網羅した豪華本「生卵」を発売。東京デジタルホン(現vodafone)のCMに出演。夏にはアメリカ・ナッシュビルにてレコーディング。シングル『君にだけわかる言葉』を11月リリース。
昨年から続くソロ名義のプロジェクト、Screaming Revueの動きが活発に。8月に日比谷野音ほかでのライブ、11月から12月にかけては全国ツアー“スクリーミングレビューTOUR’95”を行う。
インディーズレーベル「SWIM RECORDS」設立。
4月、一昨年より復活を遂げたTHE TIMERSが5年ぶりとなるアルバム『復活!!THE TIMERS』、シングル『サヨナラはしない』を、さらに「あこがれの北朝鮮」などを収録のアルバム『不死身のタイマーズ』をSWIM RECORDSからリリースする。5月にかけて“不死身のタイマーズ”ツアーを行う。

1996年

昨年11月に続き、1月に『GOOD LOVIN’』、4月には東京デジタルホンのCM曲になった『世界中の人に自慢したいよ』と、立て続けにソロ・シングルをリリース。
Screaming Revueをシンプルなバンド編成に変えたLittle Screaming Revueで全国ツアー、“忌野清志郎 TOUR 1996 リトル・スクリーミング・レビュー”を3月から4月にかけて行う。このツアーより、さかんにサックスの演奏をするようになる。9月には日比谷野外音楽堂公演“ホントウのロック’96”。
11月、篠原涼子とのデュエット・シングル『パーティーをぬけだそう!』がリリース、意外な組み合わせが話題に。

1997年

3月、フリージャズ・ユニットde‐ga‐showとのコラボレーション・アルバム、Kiyoshiro Meets de‐ga‐show『Hospital』を発表、さらに“Live in Hospital 皐月病”ツアーを行う。フルートの演奏も披露。
ついにLittle Screaming Revueのアルバム・レコーディングに突入。シングル『メロメロ』を6月に、そして4年ぶりのアルバム『GROOVIN’TIME』を7月にリリース。8月から10月には全国ツアー“TOUR 1997 GROOVIN’ TIME”を行う。
木村拓哉主演フジテレビ系のドラマ「ギフト」にレギュラー出演。スペースシャワーTVの情報番組「SoHo」にパーソナリティーとしてレギュラー出演。

1998年

約14年間在籍した東芝EMIを離れ、古巣でもあるポリドールに移籍。それにあたって、清志郎自身の選曲によるベスト版、『GOOD BYE EMI』を3月に発売。
同じく3月、Little Screaming Revueが日替わりのゲストと共演するイベント、 “ラブ・ジャム’98”を開催。このイベントはさらに9月にも行われる。
Little Screaming Revueとしての2ndアルバムのレコーディングに入る。夏には“FUJ ROCK FESTIVAL

akemi takeya

Воскресенье, 10 Мая 2009 г. 09:23 + в цитатник
myspace.com/akemitakeya Akemi Takeya-dancer, performer, choreographer and musician is a cosmopolitan artist, who unites her Japanese European and American cultural experiences within her work.

She is an initiator of numerous multicultural and transdisciplinary projects, and interweaves movement and voice into vibrant creations, which she has developed a truly unique expressive language.

Takeya’s presentation is poetic, expressively strong, fantasyful and transformational. She takes her audience on a journey into an alien and curious world, where instinct and originality reign. In her impressive performances, the artist forges states of disorientation, victimisation, an expressive drive towards self-oblivion, painful development processes, horrific skinnings and distortion of limbs, into an intensely lyrical flow of images.

Currently collaborating with Ulf Langheinrich / Granular Synthesis (audiovisual environment) as voice & body performance- “modell5/motion control”, “weathering” and “ce_l”.

*Further information:
http://www.imeka.net/, www.granularsynthesis.info/ http://www.epidemic.net/geogb/art/gs/ulf/weatheringgb.html

Stihi Bukowskogo v perevode Andreya harchevnikova

Среда, 25 Марта 2009 г. 15:16 + в цитатник
netslova.ru/khartchevnikov/bukowski.html Stihi Bukowskogo v perevode Andreya harchevnikova

Nobuko Hori

Пятница, 08 Августа 2008 г. 13:55 + в цитатник
homepage.mac.com/nobuko_hh/Menu3.html Nobuko Hori

Nobuko родилась в районе Кансай (территория, которая прилегает к городу Осака - одному из крупнейших городов в Японии). Изучала изобразительное искусство в Токио, затем перелетела через океан в Нью-Йорк, где и создаёт музыкальные и изобразительные коллажи.

Электронная японка

Вторник, 05 Августа 2008 г. 23:22 + в цитатник
cubo.cc/ Электронная японка

marqido

Пятница, 27 Июня 2008 г. 14:37 + в цитатник
marqido.com/ Japanese Noise Creator/Artist. Born in 1974. Started to perform in Tokyo. With a korean female artist "itta" formed "10". Invited a chinese avant-garde guitarist "Li Jianhong" to japan for the first time. With a japanese phychedelic illustrator "Yunico Uchiyama", they make "Democritus" that is released serially. Worked the music for butoh, play, dance, film and performance. Produced a compilation album "Asian Flashback" on PSF. Released albums with Li Jianhong and itta "See You New World" (2007), with Magical Power Mako "Marqido + Magical Power Mako" (2004).

сайт Makigami Koichi

Воскресенье, 25 Мая 2008 г. 23:18 + в цитатник
makigami.com/ сайт Makigami Koichi

BOYD RICE

Понедельник, 05 Мая 2008 г. 23:51 + в цитатник
boydrice.com/ BOYD RICE

TANAKA MIN

Суббота, 03 Мая 2008 г. 01:51 + в цитатник
min-tanaka.com/ TANAKA MIN

Guilty connector

Четверг, 01 Мая 2008 г. 16:44 + в цитатник
gravity-swarm.com/GxCx/ Guilty connector

http://nobukazutakemura.jp/

Суббота, 05 Апреля 2008 г. 18:30 + в цитатник


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