を幹部たちから古参の |
を幹部たちから古参の隊士たちへと移した。
そういわれれば、隊士たちもひくしかない。
「承知」子宮腺肌症治療
全員が一斉に了承した。
が、どのもじつに残念そうである。
もっとも、その残念そうというのは、戦に参加できぬことについてではない。野村が敵のに取り残されるのを見物できないからである。
全体ミーティングのあと、海戦に参加する者だけ別室に移動することになった。
もうそろそろ就寝タイムである。
隊士たちは、本堂に布団を敷きはじめた。
本堂より奥に、僧侶たちが寝起きしている部本堂とともにそのうちの二部屋を明け渡してくれている。
島田たちと子どもらがおおきいほうの一部屋に寝泊りしていて、もう一部屋は副長が戻ってきたときにつかうことになっている。
おおきいほうの部屋もちいさいほうの部屋も、寺院の庭に面していて静かで落ち着く部屋である。
本堂から移動し、おおきいほうの部屋にはいった。
ふとを感じるので庭のほうをみると、相棒が廊下をはさんだ向こう側の庭でお座りをしている。
当然のことながら、相棒は人間よりも一足はやくたぬき汁を堪能したらしい。
さらに当然のことながら、それは俊春がやってくれたのである。
そのときになって、やっと思いだした。
にきたことがある、と。
厳密には、ずっと未来で訪れたことがあったのである。
称名寺は、いまからあと数年の後に大火に見舞われる。その際に移転するのである。ゆえにおれが訪れたのは、厳密にはここの称名寺ではない。移転後の称名寺である。
ちなみに、この称名寺は移転後も幾度か大火に見舞われてしまう。昭和の初期、それこそ第二次世界大戦よりずっとまえに本堂を鉄筋コンクリートにし、それが現代にいたっていると記憶している。
副長を上座にし、そのまえに左右にわかれて座った。
副長は、座るなり口をひらいた。
「利三郎。バックレ《・・・・》てみやがれ、このおれみずから史実どおりにしてやる」
おれの左側で胡坐をかいている野村は、へそを曲げている。
「ほかの死ぬはずだった連中はその場所から遠ざけられていたのに、なにゆえわたしだけそこにいなければならぬのですか」
まぁ、野村のいうことは正論である。
「馬鹿野郎っ!此度は、ぽちがおまえの影武者を務める。甲鉄に斬りこむ連中を護るだけでなく、甲鉄に細工をして動けなくする。その上で全員を回天に逃し、に一人で残るんだ。野村利三郎としてな。悪いとは思わぬのか?たった一人、取り残されるのだぞ」
全員が野村をみた。
そうなのである。副長と俊冬と俊春とおれとで立てたである。
じつは、この戦いで野村以外に死ぬ予定の重要人物がいる。
回天の艦長である。
甲賀は、がんばり屋さんの幕臣である。海軍奉行の荒井とともにオランダ語を学んだり、の操練を学んだりした。たしか、オランダ語で記載された操練書も翻訳したはずである。英語も学んでいるはずだ。
かれは小柄だが気さくな人物で、剣もそこそこ遣えるというから驚きである。
コツコツ努力して研鑽をつむタイプで、好奇心旺盛な海の男といえよう。
しかも、部下思いでおおくの人々に慕われている。
この海戦で戦うことになる薩摩のをして、『勇士である』と記念碑に讃辞を送らせているので、勇猛果敢なところも際立っているのであろう。
東郷は、後に太平洋連合艦隊の司令長官として数々の手柄を立て、世界的にも有名になる軍神的存在である。
というわけで、甲賀を死なせるわけにはいかない。が、まさか甲賀にむかって回天に乗るなとはいえない。
俊冬がかれを護ることになった。
というわけで、俊春は一人で三役も四役も務めなければならないわけである。
野村は、副長にきつくいわれてうつむいた。
一瞬、へこんだのかと思った。が、すぐにその
そうだ。
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